劣等感を感じない生き方はあるのか

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俺ゴリラやもんなぁ・・・

こんにちは。

 

突然ですが、あなたは「劣等感」を感じたことってありますか?

 

「あ~、あの人はこうなのに・・・」

「いつも負けてる・・・」

「あいつはなんであんなに幸せそうなんだ・・・」

「それに引き換え、俺は何をしているんだ・・・」

 

誰もが一度は感じたことがあるんじゃないでしょうか。

 

今回はこの誰もが感じたことのある劣等感について述べていきます。

 

 この記事の目次

 劣等感とは

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劣等感とは何なのでしょうか。

 

ドイツ語で劣等感をあらわす単語は「Minderwertigkeitsgefuhl」といい、「価値(Wert)」「より少ない(minder)」「感覚(Gefuhl)」という意味だそう。

 

価値判断ってことです。

 

さて、劣等感の具体的な例を挙げてみましょう。

 

伸長が小さい

太りやすい体質

頭が良くない

運動神経が悪い

などなど、挙げればきりがありませんね。

 

率直に劣等感とは・・・

 

それは「劣等的価値判断」ではないかと思います。

 

難しいですね(笑)自分でも頭がこんがらがることが多々あります。

 

じっくり考えていきましょう。

 

主観的な解釈が物事を決めている

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ここではある例をとって考えていきましょう。

 

背が小さい。このことに劣等感を抱えていると思ってください。

 

ただこれを「相手に威圧感を与えない、相手の警戒心を和らげる特質」だと考えるとしたら?

 

いわゆる発想の転換」「価値転換」です。

 

いやいや、確かにそうもとれるよ?でもそんなん虚しくね?

 

まぁ、待ってください。

 

例えば数値でみて、150cmで男性だった場合、多くの人が伸長が小さくて悩むと思います。

 

でも、数値という客観的事実が小さいと言っているのではありません。

 

だってもし、この世に誰もいなかったらあなたは何㎝だろうと小さいと感じないでしょう。

 

つまり、客観的事実に自分の主観的な解釈が相まって小さいと思ってしまう。

 

問題は自分がその事実にどう意味づけ、価値付与をするかなんです。

 

劣等感は主観的解釈で生まれることが分かりました。

 

「背が小さいことは相手をくつろがせる才能」だということは、もはや勝手な思い込みですよね。

 

ただ主観のいいところは自分でその解釈を選べるということ。”主観”ですからね。

 

客観からの脱却

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とはいえ、客観的な事実は動かすことはできません。しかし、主観は自身にかかっている。

 

最初に劣等感は「劣等的価値判断」であると言いましたね。

 

そもそも価値について考えましょう。

 

価値とは何でしょうか。

 

一般に価値があるのは、宝石や貨幣ですかね。

 

でも、宝石に価値がある、貨幣には、つまり千円札には1000円の価値があるというのはコモンセンス(共通認識)であって、客観として価値はない。

 

これも他の人間がいなかったら、持っていても誰も見てくれませんし、使えないので石ころや紙切れに還元されていくでしょう。

 

真の劣等感は重要な意味を持つ

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どんな人間だって劣等感はあるでしょう。

 

金があろうが絶世の美女だろうが、ローマ法王だろうが。

 

劣等感は「進歩の追求」のために存在しているようです。

 

人間は最初無力の状態で生まれてきます。ここから、言葉が喋れ、自分の足で立ち、好きなものが食べれるという進歩のために劣等感があるという考え方です。

 

このとき役立つのが劣等感です。

 

理想の自分に対して到達できない自分にまるで劣っていると感じる

 

「まだまだ努力が足りない」「もっと頑張らなきゃ」

 

このとき劣等感は努力の促進剤として働きます。

 

しかし、時間が経ち他者を知ると人間は他者とも比較するようになります。

 

あくまで劣等感は理想の自分との比較から生まれる増進材だったのに、変化するのです。

 

そこでできない自分を受け入れられなくなった時「自分はダメだ」となるのです。

 

ここまでくると、もう劣等感ではありません。

 

アドラーはこれを「劣等コンプレックス」と呼びました。

 

さきに述べておくと[complex]という単語は日本語での使い方とちょっと違うところがあります。

 

コンプレックスを自分の弱点とか気にしているところととらえている人はきっとなんで「マザコンというかわからないでしょう。

 

お母さんが大好きなんでしょう?じゃあ、コンプレックスじゃないじゃんって。

 

でも[complex]は直訳で「複雑な」つまり「倒錯した状態」を指します。

 

これが分かると母親という存在を倒錯した状態というので分かりますね!

 

話が逸れましたが、劣等コンプレックスは理想の自分との比較だった劣等感が他者との比較に倒錯しているってことです。

 

劣等コンプレックス

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劣等感は努力の増進材でいい存在。でも、劣等コンプレックスになるとなぜ急に悪いものになるのか。

 

それはこの間述べました、原因論に回帰しだすからです。

 

naokinakayama.hateblo.jp

 原因論についてはこちら。

 

例えば、「小さいからバスケ選手にはなれない」とか「学歴がないから成功できない」とか。

 

「~だから、~できない」という原因論で考えてしまう。

 

いやいや、実際そうじゃないか!と思うかもしれません。

 

でも、本来関係ないところから原因を持ってきているのです。

 

だって、背が頭1個分違う選手とやりあうNBAの日本人選手の状況も、背が高い人に囲まれて小さい人がやる状況と変わらないし

 

中退の社長なんて世の中にたくさんいますからね。

 

劣等コンプレックスによって原因論に回帰する人たちの目的は、「選手になりたくない」「成功したくない」なんです。

 

なんだって!?

 

いやそうなんですよ。今の生活や娯楽をつぶしてまで選手や成功者になりたくないんです。

 

もっと言えば「これがあるからできない」ということで「なかったら自分だってできるんだ」って「自分には価値があり、有能だ」という可能性を残しておきたいんです。

 

今の自分のライフスタイルを変える勇気がないだけなんです。

 

今日のところはここまで。

 

次は自慢が劣等感からくるものであるや他者と自己の存在について述べます。

 

難しかったと思います。それは考え方が今までの概念と違いすぎたからかもしれません。

 

僕もまだまだです。だから、この記事では「~について教えます」とは書いていません。

 

「~について考えていきましょう」といっています。僕自身完璧でないが故に皆さんにも考えていただく必要があるのです。

 

今日も考え込んで、自分を大いに成長させましょう。人生の永遠の目標は学びから自分を磨き続けることかもしれません。

 

JUST ONE LIFE, WHAT WILL YOU DO!