上司の自慢話に飽き飽き?あいつら劣等感の塊だぜ!?
どうも人生ガチ勢大学生のなおきです!
この記事では前の記事の予告通り、「自慢は劣等感からくる」、「他者と自己の関係」についてまた皆さんと考えていけたらなと思います。
前回記事のおさらいはこちら。
また、本記事も僕が人生におけるベストセラーとして挙げている「嫌われる勇気」より得た知識をシェアさせていただいております。
まだ読まれていない方はぜひ、お読みください。価値があります!
この記事の目次
自慢が劣等感からくるとは
以前の記事では「~だから、~できない」ということは「~さえなければ、私は優秀でやり遂げる力があるのだ」と自己暗示していると述べました。
そしてこのような状態になってしまえばそれはもはや劣等感ではなく、劣等コンプレックスに変わっているのだと言いました。
なるほどなと思います。
自分にプラスに働く、マイナスな感情が劣等感で、自分にマイナスに働く、マイナスな感情が劣等コンプレックスです。
そしてこの劣等コンプレックスはこのあと更なる心理状態を生み出すのです。
それは優越コンプレックスという心理状態です。
また新たなのが出てきました(笑)
でもなんか響き的にいい物っぽくね?って僕は思ったんです。でも、少し考えていたのとは違いました。
またも考え方えぐられますよw
偽りの優越感に浸る
劣等感に苦しみながらも健全な努力はできず、さらに劣等コンプレックスでも耐えられない・・・
そんな人は権威と自分を結びつけることで優越感を得ようとしていきます。
自分が権力者と懇意であることをあたかも自分が特別であるかのように捉えるのです。
ここでの権威とは有名人や宝石、高級車なんかを指します。
ファッションということを考慮しても、10本全部の指に宝石の指輪をするのは劣等感に起因する何かがありそうです。
他者の価値観の中で自分を高めることは結果として他者の人生を歩むことになります。
他人の眼鏡をかけて世界を見ていくことは非常に大変で窮屈な生き方だと僕は思いますね。
権威が必ずしも実態のあるものとは限りません。
過去の栄光にすがる人も心理状態は同じ。
現在の自分があの時と比べ劣っていることが受け入れらず、ただ努力するのもまた違う・・・といって
自分が最も輝いているときのことをいつまでも語るのです。
これは多くの会社員の方なんかが経験してそうですね。
上司のつまらない自慢話「俺が若い頃は・・・」なんてのを聞かされて今日も愛想笑いしているんだなんてのを思うと、頭が上がりません(笑)
そしてこの劣等感に基づく自慢は特異な変化を遂げることがあります。
不幸自慢
上記の特異な変化をしたものがこれ。「不幸自慢」です。
これは面白い概念ですよ!ぼくは確かにあるあるそれ!!って思いました。
不幸自慢とは・・・
自分の不幸をまるで自慢のように語り、それを慰めようとしたら「あなたに分かるわけない!!」といってその歩みをはねのけちゃうような人いませんか?
その人は不幸であることで自己を「特別な」存在であろうとし、不幸であるという点において人の上に立とうとするのです。
この考え方面白くないですか?なるほどな~、当の本人はそこまで考えてなくても人間の行動の奥底にはこんなに深い戦略が眠っていたと考えると人間ってホントに面白いなと僕は思います。
いわゆる「弱さ」を武器に人の上に立とうとする。
それゆえに人は腫れ物に触るかのように丁重に扱ってくれる・・・
なかなかよく考えられた生き抜くための動物的戦略のように感じられます。
アドラーは「人間社会において「弱さ」は偉大なる権力で非常に強力である」と言っています。
え!?弱さが!?って思われるかもしれません。
どういうことなのか・・・
これはまた次回皆さんの納得のいく例を挙げて取り上げたいと思います!
では本日も命の時間を使って読んでいただきありがとうございました!!
JUST ONE LIFE, WHAT WILL YOU DO!!