人類の平和への課題
どうもなおきです!
今日は高校のとき、一度友人とめちゃめちゃ議論を交わした「人類は何のために生まれてきたんだ?」ということについて書いてみました。
自然破壊や環境汚染、森林伐採とあらゆることで地球の環境を乱していると捉えられる我々人間の歴史・・・
でも、実際私たちはなんのためにこの世に誕生したんでしょう。
そんな深いところを皆さんにお伝えいしたいと思います。
ぜひ一度、あなたも考えてみてほしい。
この記事の目次
議論が始まったきっかけ
なんでこんな深い話にあの時期に発展したのかはっきりは覚えていないですが、環境問題とか諸問題のことを話していた時に
全ての原因は人間の誕生にあったのではないかと言い出したのが始まりだったのではないかと思います。
この記事では人間はいらないという立場で議論するA君と人間は必要だったという立場で議論する私の視点で書かれています。
A君の主張
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人間なんて必要ない説
俺は人間が生まれてきたことでいいことなんかあんまりなかったと思っている。
森を切り開き、ビルを建て、空気を汚してきた人間は自分を含めてもういらないんじゃないか。
人間は様々な技術を生み出してきたし、進化し続けてきたけどそれは全部自分らに利益があるもので、
自然界に何のメリットもない。
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人間のいない世界
人間がいなければ、戦争もない、自然も保たれる。
動植物たちはなんの弊害もなくのびのびと暮らすだろう。
人間が創った文化や言葉、無形の概念さえも何にもないのだから、良い悪いの概念もない。
何かが何かを殺して食べようが何をしようがそれでいいんだ。
戦争や醜い争いは人間がいなくなることで全部なくなる・・・
私の主張
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人間が創られた意味
なるほどな・・・Aが言いたいことはすごくわかるよ。
でもどうだろう。アートや音楽は人間の感性が生んだ素晴らしいものなんじゃないのかな?
A「でも、それも人間の概念があってこそのもんやん。人間がいなかったらアートは汚された紙みたいなもんやし、音楽はノイズでしかないのでは・・・」
ふんふんふん・・・
俺は人間が誕生したのにもしっかりした意味があると思うよ。
確かに人間は多くの過ちを犯してきた。
環境破壊も戦争も差別も汚染も。
でも、人間しか持ってないものってのがあるからな。
考えてみると、もしかしたら人間誕生以前の世界はそんなに平和ではなかったのかもしれんよ?
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人類誕生前の世界
人間が誕生する前の世界。そこには人間はいない。
それは動植物の楽園だった・・・
なんてことはないと思うよ!
彼らに譲り合ったり、他人を優先するという感情は少ない。
多少狩りで協力するなんてことはあっても、それは結局のところ自分が餌にありつきたいに過ぎない。
魚が群れるのも、あれは敵に自分が襲われないように仲間の内側に入っていく過程で形成されたものに過ぎない。
つまり、その世界には「無償の愛」なんて存在しなかった。
毎日、餌、異性、生活空間をめぐり、互いにいがみ合い、争っていた。
非科学的な話だけど、そんな世界に「愛」をもたらすために人間が創られたんじゃないかな。
空腹の二者が食べ物を前にして、半分ずつ食べよう。というのは人間だけだろう。
我が子のためならって身代わりになって死ぬことをいとわないのも人間だけだろう。
一人でご飯も食べられず、排せつもできず、立つこともできない無能で弱すぎる赤ん坊を愛しく見つめるのも人間だけだろう。
その根底にあるのは「愛」だ。理由なき「愛」なんだ。
人間が未だにこの世に存在し続けるのは、その「人類の課題」を達成していないからじゃないかな。
よく「戦争している国は・・・」「北朝鮮はまた・・・」っていうけど
実際僕らは彼らの何を知っているのだろう。
メディアの情報に支配され、一面だけしか見れていない状態でものをいう人が多すぎる。
もしもその立場だったらって考えられる人が少なすぎるんだ。「愛」を持って接していない証拠だよ。
彼らだって戦争はしたくないかもしれないし、俺だって目の前で家族や大切な人が殺されたら他すべてを破壊しつくそうとするかもしれない。
人間は長い歴史の中で未だに与えられた課題をやり終えていないんじゃないかな。
まとめ
僕らの議論を少しだけお見せしましたが、どう思いましたか?
正解はないのかもしれませんが、僕らは一生考えていかないといけないのかもしれませんね。
少なくとも僕は自分の考えた「人類の愛の課題」については自分の中で心にとめておこうと思っています。
読んでいただいてありがとうございました!